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七代目 坂東 三津五郎(しちだいめ ばんどう みつごろう、1882年(明治15年)9月21日 - 1961年(昭和36年)11月4日)は、歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。本名は守田 壽作(もりた じゅさく)。俳名に是好がある。 妹に三代目坂東玉三郎、弟に十三代目守田勘彌がいる。 ==略歴== * 新富座座元の十二代目守田勘彌の長男として東京に生まれる。 * 1889年(明治22年)10月桐座『伊達競阿國歌舞伎』の鶴千代で二代目坂東八十助を襲名して初舞台。 * 1906年(明治39年)4月歌舞伎座『盲長屋梅加賀鳶』(加賀鳶)の兼五郎で七代目坂東三津五郎を襲名する。同時に舞踊坂東流家元となる。その後六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門などの相方を多く勤めた。 * 1957年(昭和32年)3月明治座『傀儡師』で前年に誕生した1歳2か月の曾孫・寿(十代目坂東三津五郎))を抱いて初御披露目。9月歌舞伎座『寒山拾得』の舞台で倒れる。 * 1961年(昭和36年)11月4日死去、満79歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂東三津五郎 (7代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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